エドガー・ドガ、「ギュスターヴ・モローの肖像画(Portrait de Gustave Moreau)」

エドガー・ドガ、「ギュスターヴ・モローの肖像画(Portrait de Gustave Moreau)」

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Matière et technique: 
オイル・オン・キャンバス
Origine et date: 
1860年頃
Artiste(s): 
1834
Paris
1917
Paris

Dimensions :

40 cm
27 cm

エドガー・ドガは、1858年初頭、ローマでギュスターヴ・モローと知り合います。彼は数か月後、フィレンツェでモローと再会し、1859年3月1日(火曜日)から3月4日(金曜日)までシエナとピサを一緒に訪れます。当時24歳だった彼が、大胆な「ベレッリ家の肖像(Portrait la Famille Bellelli)」(パリ、オルセー美術館、R.F.2210)に着手し、象徴的な構図に、メンターと見なしていたモローとの関係を投影したと考えられる「ダンテとウェルギリウス(Dante et Virgile)」(個人所蔵)を完成させたのは、この頃のことです。その影響は、「エフタの娘(La Fille de Jephté)」、 「バビロニアを建設するセミラミス(Sémiramis construisant Babylone)」、「少年たちを挑発するスパルタの少女たち(Petites fille spartiates provoquant des garçons」)といった作品に表れています。しかし、「ヘシオドスとミューズたち(Hésiode et les muses )」(MGM.Cat.872)といった絵画では、モローの「弟子」の影響はあまり表れていません。モローはドガに3枚の肖像画を描かせます。これらは全てイタリア滞在中に制作されました。最後に描かれたものは、1861年-1862年のもので、ダンディに椅子の上に無気力に座り、足を高く投げ出し、その決意を示すかのように手袋を握った姿を描いたものです。年月を経て、ドガは象徴派のモローとは異なる方向性に向かいます。その違いは、ポール・ヴァレリーが語った「彼は私たちに、神々が時計のチェーンを身に着けていると信じさせたいと考えたのです」という、ドガの言葉の中にうまく要約されています。また、手厳しい返答のやり取りからもうかがえるでしょう。「それでは、ダンスで芸術を復元する自負があるのですか?」[ドガは反論します] 「それでは、あなたは宝石類でそれを一新する自負があるのですか?」とりわけ、同じ場で活躍していた2人の画家は、共通の友人でラ・ロシュフコー通り16番地に居を構えていたHortense Howlandのサロンなどで顔を合わせていました。1898年4月18日、ロベール・ドゥ・モンテスキューと共に、若かりし頃の友人の葬儀に出席したドガは彼に次のように告白します。「モローは、人に足を踏まれるのではないかと考えて、歩くときにはまず足を引っ込めるような人間の一人だったのです」。ポール・ヴァレリーは、ドガが自身の作品のために美術館を建設するのを思いとどまらせたのは、ギュスターヴ・モロー美術館を訪れたことが原因だと述べています。彼は、次のように語りました。「本当に陰鬱で、地下にいるかのようだった。[…] 集められた全ての作品が、辞典やグラドゥス・アド・パルナッスムのように思えた