画家の自宅 –自宅兼美術館 [House-Museum]

「私はフランス国家に、ラ・ロシュフコー通り14番地の自宅およびそこに残された物全てを遺贈する。それには、絵画、デッサン、素描など50年間の制作物が含まれており、また前述の自宅とかつて父母が所有していた古いアパルトマンに残されたものも含まれる。[…] しかし、その条件として、これは私の最も重要な願いであるが、出来る限り長い間、画家の生涯を通じた作業全体と努力を知ることができるよう、このコレクションの全体的な特徴を保ちながら保管することを求める」1897年9月10日付のギュスターヴ・モローの遺書の抜粋

晩年、親しかった人々の死後、ギュスターヴ・モローは自身の作品のための美術館を設立することを考えます。彼はこのプロジェクトの構想をあたため、作品の大半を保管し、制作活動に打ち込みます。そして、ラ・ロシュフコー通りの小さな自宅にそれらを保存します。庭の門の内側に中央階段がある、藤が巻き付いたオレンジの漆喰塗の控え目で田舎風の建物は、1852年以降ギュスターヴ・モローの所有物となっており、彼はそこで両親と住み、両親の死後は一人で生活を送りました。4階には彼の小さなアトリエが作られています。1889年、ポール・ルプリウールはそのモノグラフの中で、住居とアトリエに関する貴重な記述を残しています。

「この新しいエリアの中に(・・・)他とは異なる謙虚な外見の古めかしい自宅がある。その状態は通行人にどのような怖さを与えるのかは想像がつかない(・・・)。アトリエは彼の研究所で、彼はそこで喧騒から離れ、常に完璧さに対する懸念や愛情に満ちた錬金術に没頭している」

18954月、モローは必要に応じてそこに大きなアトリエをいくつか作ることを決めます。彼は旧友である建築家エドゥアール・ルイ・デンヴィルの同僚であった若い建築家アルベール・ラフォンにその作業を任せます。彼は最大限スペースを得るため、自宅の3階同様、自分のアトリエも犠牲にします。彼は数多くの思い出が残る2階のアパルトマンと、1階の部屋を残します。3階と4階は北をガラス窓で囲まれ、出来る限りスペースを得るためにデザインされた広いアトリエに作り替えられます。3階には、4階につながるエレガントな螺旋階段が設置されています。
1896以降、モローは美術館の設立準備を開始します。彼はデッサンや絵画を分類、選択し、拡大するなどそれらに最後の手直しを施します。美術館は、彼が扱った全てのテーマを展示する「大きな作品」としてデザインされています。

Vue du meuble à aquarelles dans l'atelier de Gustave Moreau au 3e étage du Musée Gustave Moreau